一転して労働力不足へ

87年以降、経済が拡大するにつれて、雇用面での不安は急速に薄れていった。まず、87年4月〜6月頃から残業時間が増えてきた。次に7月〜9月頃から求人数が増え始めた。そして、88年に入ると常用雇用が増えてきた。

雇用関係の指標は軒並み改善した。有効求人倍率(企業からの求人数を求職者数で割ったもの)は、「円高不況」の最中には0.6前後だったが、88年6月にはついに1を超えた。求人数が求職者数を上回ったのである。これは74年以来の現象であり、日本経済が労働力不足時代に入ったことを示している。

失業率も低下し、89年初めには2.3%となった。89年に入ると、ミスマッチを心配するどころか、労働力不足が景気上昇を制約するのではないかという議論まで現われてきた。企業の積極的な雇用態度はまだ続きそうである。

89年三月の経済企画庁企業アンケート調査によると、89〜91年にかけて雇用を増加させるとした企業の割合は、53%に達しており、減少させるという企業の割合(14%)を大きく上回っている。こうして雇用情勢が改善してきた最大の理由は、企業の中長期的な成長期待が高まってきたことである。

経済企画庁では毎年、企業が今後三年間についてどの程度の成長を予想しているかを調査している。これによると、円高前には4.5%だった期待成長率が、円高後の87年初めには2.7%まで低下した。企業の期待成長率が下方にシフトすると、企業は既存の設備こ雇用ストックを下方に調整する。これが雇用の悪化につながったわけである。

しかし、その後景気が回復していったので、企業の成長期待も次第に上方に修正され、88年初めには3.2%、89年初めには7%まで上昇してきた。こうして企業の成長期待が上方修正されると、雇用についても積極的な姿勢で臨むようになる。これが雇用情勢の好転につながってきたのである。

また、企業が円高後の構造変化に積極的に対応していこうとしていることも雇用面に好影響をもたらしている。経済企画庁の企業アンケート調査で、企業がどのような分野で雇用水準を高めようとしているかをみると、「販売・営業分野」「研究開発分野」の比率が圧倒的に高い。

円高後の企業は、内需中心の成長に対応して、国内販売を強化し、新製品・新分野への進出のための研究開発に力を入れてきている。それが雇用面でも現われているのである。

日本の物価のふしぎ

それでも、顧客がもっているはずの電子マネーやクレジットカードを使わずに支払いをしてしまえば、個人情報は手に入りません。消費者金融業者やTSUTAYAのように、なにかを貸すサービスを本業としている企業は、情報戦略の面ではかなり有利なのです。また、無料ビジネスの手法を試そうとする企業は、ITツールでの情報ルート整備を検討するだけでなく、金融サービスの要素をいかに入れるかも、可能であれば考えてみるべきでしょう。たとえば、なにかの無料サービスを提供する際に、それなりに価値がある機器を貸し出したうえで、あとで返却してもらうシステムにしておけば、高いレベルの個人情報を集めやすいはずです。

物価であっても将来予測はむずかしく、インフレとデフレ、どちらの予測が正しいかは結果をみるしかありません。しかし、資源価格の高騰が日本の物価にどう影響するかは、データで確認できます。じつは2010年まで、資源価格の高騰は。日本の物価にさほど影響してきませんでした。これをどう考えるかがポイントになりそうです。たしかに、原油などの資源の国際価格(国際的な商品相場)を、日本銀行発表の「日本銀行国際商品指数(米ドル建て)」でみると、1998年を境に、急勾配の上昇トレントに転じています。98年からみているのは、90年代で一番安い年だったからです。また日本銀行国際商品指数は、約3分の2は原油(精製してガソリンなどの石油製品にする前の石油)の値動きを反映し、銅、金、トウモロコシ、コーヒ大旦、豚肉などの価格も加味した指数です。

ところが、同じ1998年を境に、日本の消費者物価は下落傾向に転じています。両者のグラフだけをみると、「国際的な資源価格が高騰しているときは、日本の消費者物価は下落してデフレが生じている」という比較的はっきりした関係が読み取れます。それなりに経済の知識がある人ほど、この関係に驚くでしざつ。「資源価格の高騰は、資源がない日本のような国の物価を上昇させ、インフレにつながるはずだ」と思い込んでいるからです。しかし、それは石油ショックが起きたころには正しかったのでしさつが、いまは、明らかにまちかっています(少なくとも、1990年から2010年にかけての日本には、まったく当てはまりません)。

1990年代のうち、1998年までは、資源価格が下落傾向にあるなかで、日本の物価は少しずつ上がっていました。そして、1998年から2010年にかけて、日本銀行国際商品指数は3・5倍になりました。プラス250%という大幅上昇です。2008年までの数年間で特に急上昇し、リーマンショ″クの影響で2009年は一時的に下がりましたが、すぐまた2010年には上がり、上昇トレントを維持しているようにみえます。ところが同じ1998年から2010年までのあいだに、日本の消費者物価は約4%下落しています。物価についての代表的な指標のもうぴとつであるGDPデフレーターは、同時期に約14%も下落しています。とにかく、日本の物価は下がり、明らかにデフレが進みました。

なぜ、こんな不思議な現象が起きるのでしきつか。大きな理由は2つありそうですが、本書に関係が深いひとつだけを、ここで説明します。その理由とは、日本の消費者物価は、資源の価格よりも、労働コスト(賃金)に左右されやすいこと。このあたりは、日本経済についての基本データ、たった2つで簡単に説明できます。まず日本経済全体で、1年間で消費や投資などに使ったモノやサービスのなかで。海外から輸入したモノやサービスがどの程度を占めるかを、2009年度でみると、19・7%しかありません。これを「輸入依存度」といいますが、日本の輸入依存度は、ブラジルに次いで世界最低レベルです(かつては、10%を下回っていました)。たぶん、多くの人には意外な話でしょうが、経済の専門家のあいだでは常識とされてきたことです。

ヨーロッパにおける参審制度の活用法

もっとも、民事事件の場合は刑事事件と異なって、技術的な複雑さかおり、素人には向かないのではないかという懸念かおることは私も十分承知しています。しかし、日本より法制度が複雑とさえ思えるアメリカでも民事陪審をやっているのです。

争点の整理、裁判官の説示、弁論等をうまくできれば、この点は解決できる問題であり、そうしたことが民事陪審導入のための課題だと考えるべきでしょう。刑事裁判への国民参加実現の足を引っ張るといけないので、刑事裁判がどれだけ難しいかはあまり述べませんが、それと比べて、民事裁判の方が市民にとって親しみやすく、取り組みやすく、従って導入しやすい理由は沢山あるのです。

問題は、そういう本当に意義のある陪審制の実現について、ヤル気かおるのかどうか、それに向けて努力するかしないか、なのです。ところで、改革審が「裁判員制度」を打ち出したことから、政党までこれに引きずられてしまっているようです。各政党の意見も先にふれたように、「裁判員制度」構想を受け入れてしまったかのように見えます。

裁判員制度とは、「日本型参審制度」とも言われ、ヨーロッパで盛んな参審制度をベースに陪審制の要素を取り込んだ制度です。陪審制では、陪審員は事実判断をするだけで、裁判官は法律専門家として法律判断と訴訟手続の進行を担当します。それぞれが役割を分担し、事実はとうかを決める権限が一般の市民にあるという点に第一の特徴かあります。

高齢化の根本問題

われわれは政府も含めて今世紀の後半から、かなり真剣に社会保障社会福祉の充実に努めてきたわけで、それを二一世紀になって、財政難であるからという理由で一挙に極端な改革をするということは国民の理解も得られないだろう。同時にこの種の選択は、本来国民自身によって行なわれるものである。きちんとした情報を政府が提供したうえで、どのようなものを国民が選択するか決定すべきだ。

たとえば、極端な例をあげれば、いくら負担がふえてもよいから、国民に必要な医療・福祉はすべて国が面倒をみる、という方法もある。もちろん、これはあまりにも飛躍した議論で、現実的ではないだろう。どのような情報を国民に開示し、それをどういった形で国民に選択してもらうか、という新しい方式を編み出さなくてはならない。

これまでの厚生省は政策立案に努力はしてきたが、この種の情報提供については必ずしも得意ではない。現に介護保険の問題をめぐって、世の中一般の人々から、「はっきりわからない」という批判も受けている。厚生省は具体的なケースを解説し、選択肢を提示しながら、国民にたいして意見を求める形にすべきではないだろうか。

多くの人々は、高齢社会とは、老人が長生きし、人口全体のなかでその比率が大きくなり、その負担が国にかかってくる社会だと思っていて、どちらかといえば、暗いイメージでとらえられている。こういう見方はまちぷいとはいえないかもしれないが、十分に理解のある見方ともいえない。

極論する人は「老人がいくらふえてもかまわない。問題は、老人を支える若い人たちが減っていくことがたいへんなのである」という。たしかにそのとおりで、老人がいくらふえても、その老人たちを支える若い人だもの数もふえれば、さして問題はないということになる。

ところが、人口問題研究所の予測によると、未婚率の予測は一三・八パーセント(前回の国勢調査後の予測は一一・〇パーセント)で、一組の夫婦が一生の間に産むこどもの数は二〇〇〇年で一・三八で、一九五七年には二・〇四だったのにくらべると大きな差がある。高齢化のピークになるとされている二〇二五年で少し回復して一・六一になると予測している。

炭素税やエネルギー税などの経済的手段

西ドイツのある省庁を訪れて、環境担当の高官と話をしたときのことです。西ドイツは、地球温暖化の問題で、スウェーデンとならんで、もっとも熱心に大気安定化政策を進めていた国でした。一九九〇年一一月には、環境担当大臣が、二酸化炭素の排出量を、二〇〇五年までに二五%削減するという公式声明を出して、世界中から注目されました。また、地球温暖化に対して、炭素税やエネルギー税などの経済的手段をもって解決するために、EC諸国の間で、先導的な役割をはたしていました。しかし、一九九一年一〇月に、社会主義国だった東ドイツを統合してから、事情はまったく一変してしまったと、その高官はいうのです。

東ドイツの統合によって、西ドイツは大へんな経済的負担を背負うことになり、あらゆる種類の税を大幅に上げざるをえなくなり、環境政策に力を入れる余裕がなくなってしまったのです。そのとき、ドイツ政府の高官のいった言葉は衝撃的でした。自分たちは、四〇年間にわたる社会主義のもとで、東ドイツか、経済、社会、自然の面で大きく破壊されてきたことについては充分情報を得ていた。しかし、統合してはじめて、東ドイツで、人間の破壊が徹底しておこなわれていることを知った。自分には、かれらが同七ドイツ人だとは思えない。もし、西ドイツの人々が、このことを知っていたら、東ドイツの統合は決しておこらなかったであろうと。

じつは、ヨハネパウロニ世はポーランドの方です。ローマ法王としてヴァチカンにこられるまで、ずっとポーランドにおられました。ポーランドが四〇年間にわたって、社会主義のもとで苦しんでいるときに、ずっとポーランドに留まっておられたわけです。マルクスレーニン社会主義のもとでは、宗教の自由はありませんでした。宗教は阿片だとして、人々の心をたぶらかし、けがすものとされていました。ヨハネパウロニ世は、「社会主義の弊害」はそれこそ身にしみて感じられていたにちがいありません。

しかし、ヨハネパウロニ世は、ポーランドが、市場経済制度にあまりにもはやいペースで移ろうとしているのをみて、心を痛めておられたのです。ヨハネパウロニ世からいただいたお手紙のなかにも、「イズーキャピタリズムーオールーライト?」(資本主義は信頼してもよいのだろうか)という印象的な言葉がありました。「資本主義の幻想」を人々があまりにももちすぎるのではないかと、ヨハネパウロニ世は深く憂慮されていたのです。

一九九一年五月一五日、新しい「レールムーノヴァルム」が出されました。それは、「社会主義の弊害と資本主義の幻想」を主旋律として、公正で、社会正義にかなった世界を実現するために、私たちはいかに生きるべきかについて説かれたものです。「レールムーノヴァルム」が二十世紀への道を開いたと同じような意味で、新しい「レールムーノヴァルム」が二十一世紀への夢を与えるものになるのではないでしょうか。

死後の尊厳

一方、日本人独特と思われるものとして、感情的に「体を傷つけられたくない」、「意義は認めるが、自分が提供するのは何となくいや」などの反対理由や、さらに「心身は不可分、来世のために五体を残したい」という人もあり、また「肉親が生前に献体を希望していても遺族として反対する」と答えた人が半数以上もいたということである。

ニューヨーク支社に派遣され、白人社会の中で生活しながら国際的に第一線で活躍している一流日本商社のエリート社員の献体に対する意識調査の結果がこのようである。封建的な因習にしばられ、家族制度が根強く残っている日本国内の各地方の方々に、献体の意義を正しく理解していただきヽすすんで献体をしていただくには、よほどの努力が必要であることを改めて痛感した。

「日本ではなぜ献体の希望者が少ないのか?そしてなぜ家族が献体に反対することが多いのであろうか?なぜ本人の意思(遺志)を尊重して献体を果してあげようとしないのであろうか?」この謎にぶつかり、暗中模索を続けた私は、これに対するいくつかの原因を考えるに到った。羞恥心と凱厭。自分自身あるいは身内の者が、死後多くの人々、たとえば見も知らぬ多数の医学生や研究者に裸体をさらけ出すことに対する恥ずかしさ、死後にまでメスを入れられることに対する憐欄、とくに「身内の者に死んだ後までそんな恥ずかしい思いや痛い思いをさサるなど、残酷でとてもかわいそう」という気持がふっ切れない。

ある種の権威主義的感覚。日本人の献体の精神に対する理解のなさから、「献体なんてそんな恥ずかしいことがさせられますか。家の恥ですよ」とか「社会的に地位も実力もある私がなんで死に恥をかかねばならないのか」という前項にあげた羞恥心とは異質の、個人のプライド(自尊心)、品位、面子にかかわる権威主義的感覚からくる複雑な感情であり、日本人独特の「恥を知れ」の「恥」の意識の反映のような感覚がある。

死後の尊厳。述べたことももちろん個人の死後の尊厳にかかわることではあるが、そのほかに、裸体をさらすだけでなくつぶさに調べられて他の人と較べられ、太っているのやせているの、と品評されるのではないかという猪疑心、さらに肉体は切り刻まれて自己のアイデンティティーが消滅してしまうという気持から、死後に自己の尊厳を傷つけられると恐れる気持。

泥臭さに浸るな

わたしが以前ともに仕事をしたことのある英国人のSEがそういう男だった。しゃれたブリティッシュースタイルのスーツに身を固めて、朝出勤してくると当日中に解決しなければならないバグ(コンピューターシステムの不具合のこと∵リストに目を通す。そして、コーヒーをすすりながら、端末の前に座ると調査を開始する。その集中力たるや、本当にすごい。数分の休憩もとらず、トイレにも立たず、昼食時まで端末のキーボードを猛スピードで叩きながら調査を続ける。人が声をかけてもほとんど聞こえていない。頭のなかでは、コンピュータのコードと数値が目まぐるしく展開されているのだろう。

昼食時も手を休めない。近くのカフェでサンドイッチを買ってくると、それをほおばりながら端末を叩く。まさに一分一秒もむだにしないのである。わたしが感心して見ていると彼は時計を見て帰り支度を始めた。ちょうど五時。終業時刻だ。だが、とうてい朝渡したバグーリストが定時までに片づくわけはないと思ったわたしは、彼にバグが片づくまでは帰れないと警告した。日本人の感覚では、すべての問題が片づくまではたとえ徹夜になっても作業を続けるのが常識だからだ。しかし彼は、首を横に振る。なんでもデートの時間らしい。わたしは、さすがにそれは無責任じゃないかと思って表情を険しくしたが、そんなわたしに彼は、朝渡したバグーリストを手渡し、「すべて片づいた」とひとこと言って、さっそうと帰っていった。

なんともクールな男である。まさしくプロフェッショナルだ。超人的な集中力、就業時間中は一分といえどもむだにしないプロ意識、定時までに目標をなんとしてでも達成する高度な技術力と強靭な精神力。「デートがあるから」という理由も、じつにしゃれていてよい。比して、多くのSEはどうだろうか。その日の仕事に明確な目標を置かず、時間を無駄遣いし、結果的に大量の残業に追い込まれ、そのくせたいした実績は残せない。SE諸君は、ぜひこのクールな英国人を見習ってほしいものである。

日本人と欧米人の職業に対するスタンスに大きな違いがあることは、いまさら言うまでもないだろう。極端に言うと日本人の職業における美徳は「時間」。欧米人の美徳は「効率」といえる。たとえば、仕事で同じ成果を上げるにしても、欧米ではできるだけ短時間で達成したほうがより評価される。しかし、日本では必ずしもそうでもない。自分のノルマを速く達成したからといって、他人よりも早く退社すると白い目で見られる。おなじみの横並び気質というやつである。