高齢化の根本問題

われわれは政府も含めて今世紀の後半から、かなり真剣に社会保障社会福祉の充実に努めてきたわけで、それを二一世紀になって、財政難であるからという理由で一挙に極端な改革をするということは国民の理解も得られないだろう。同時にこの種の選択は、本来国民自身によって行なわれるものである。きちんとした情報を政府が提供したうえで、どのようなものを国民が選択するか決定すべきだ。

たとえば、極端な例をあげれば、いくら負担がふえてもよいから、国民に必要な医療・福祉はすべて国が面倒をみる、という方法もある。もちろん、これはあまりにも飛躍した議論で、現実的ではないだろう。どのような情報を国民に開示し、それをどういった形で国民に選択してもらうか、という新しい方式を編み出さなくてはならない。

これまでの厚生省は政策立案に努力はしてきたが、この種の情報提供については必ずしも得意ではない。現に介護保険の問題をめぐって、世の中一般の人々から、「はっきりわからない」という批判も受けている。厚生省は具体的なケースを解説し、選択肢を提示しながら、国民にたいして意見を求める形にすべきではないだろうか。

多くの人々は、高齢社会とは、老人が長生きし、人口全体のなかでその比率が大きくなり、その負担が国にかかってくる社会だと思っていて、どちらかといえば、暗いイメージでとらえられている。こういう見方はまちぷいとはいえないかもしれないが、十分に理解のある見方ともいえない。

極論する人は「老人がいくらふえてもかまわない。問題は、老人を支える若い人たちが減っていくことがたいへんなのである」という。たしかにそのとおりで、老人がいくらふえても、その老人たちを支える若い人だもの数もふえれば、さして問題はないということになる。

ところが、人口問題研究所の予測によると、未婚率の予測は一三・八パーセント(前回の国勢調査後の予測は一一・〇パーセント)で、一組の夫婦が一生の間に産むこどもの数は二〇〇〇年で一・三八で、一九五七年には二・〇四だったのにくらべると大きな差がある。高齢化のピークになるとされている二〇二五年で少し回復して一・六一になると予測している。