沸き立つユーラシア

二〇〇〇年に発足したユーラシア経済共同体(ロシア、ベラルーシカザフスタンウズベキスタンキルギスタジキスタン加盟)は、これら各国と隣接地域の「統一経済圏」創設をめざしているが、そうしたユ上フシア概念を機構名称としている。ユーラシア大陸はロシアを含むアジア大陸とヨーロッパ半島(ユーラシアの地図を見れば、ヨーロッパは大陸ではなく、まさに左端にくっついた半島だと分かる)の全体を指している。だが、そうした旧来の理解を離れて、ここでは、ヨーロッパ半島を除いた全体を「ユーラシア地域」と考えたい。ヨーロッパは「近代」を生み出して世界史をリードしてきた特別な地域であり、それ以外の地域は非ヨーロッパとしての独白の歴史をもっているからだ。しかも、二一世紀の今日、まさにその独自の性格が注目に値するものになっているからでもある。

その「ユーラシア地域」が今、沸き立っている。「ユーラシア地域」は三〇〇年余にわたり、帝政ロシアと清が対立と力の措抗をはらみながら支配をつづけてきた。その基本的な構図は、ソ連中華人民共和国の時代になってもさして変わらなかった。両者による対立と緊張がつづいていたことで、この「地域」は政治的、経済的に分断されていた。否、「地域」そのものが成立していなかったのである。それを根底から揺るがしたのは、一九九一年一二月のソ連邦解体によるロシアの体制転換と中央アジアカフカース、ロシア各地に存在するチュルク(トルコ)系諸民族の独立・台頭、そして一九九〇年代から本格化した中国の「改革・開放」路線による、世界の工場化だった。

まず、国境の画定が先行した。七三〇〇キロにわたる中ソ両国の国境線は、モンゴルをはさんでユーラシアを貫く分断線だった。双方の領土要求がぶつかり合い、ユーラシア地域における緊張と対立の源だった。それが、ソ連ペレストロイカに続く解体と中国の「改革・開放」の進展のなかで一九九〇年代前半から、段階的に解決されていったのである。今日、中国・ロシア国境の四三〇〇キロ、中国とカザフスタンキルギスタジキスタン三力国との三〇〇〇キロの国境線は最終的に画定している。双方が承認する、法的に確認された国境線が確立されたのは、この地域では歴史上初めてのことだ。互恵の精神に立った双方の譲歩という「フィフティーフィフティ」戦略と、双方とも「敗者」にならない「ウィンーウィン(Win-Win)」戦略によるものである。

これによって、ユ上フシアに引かれている七三〇〇キロの国境地帯は、「緊張と紛争」の地帯から「安定と発展」のベルトに変身しようとしている。それは、一三−一四世紀の「パクスーモンゴリカ(モンゴル帝国支配による平和)」時代以来の状況である。その変化のなかで、国境を越える人と物の流れが、目覚ましい勢いで復活している。そして、中露国境貿易が活発化しノ甲国と中央アジア各国を結ぶシルクロードが甦っている。中露貿易、中国と中央アジア各国との貿易は、ソ連邦解体とともに急速に増えた。ユーラシア北部を走るシベリア鉄道、中国から中央アジア、ロシアを経てヨーロッパに至るユーラシア鉄道、上海から新疆ウイグル自治区を経て中央アジアそしてトルコに通じる高速道路などが整備されてきた。

ユーラシア西部からヨーロッパへと張り巡らされている石油・天然ガスのパイプラインも、ユーラシア東部へと建設されつつある。ロシアと中央アジアの石油・天然ガスは今日、東へ東へと流れようとしているのだ。インドと中国、インドとパキスタン、そして中央アジアとイランとの政治的・経済的関係も従来の対立・停滞からさまざまな問題をはらみながらも正常化、互恵の協力関係へと転換しようとしている。いまユーラシアに、注目すべきダイナミズムが生まれつつあるのだ。この沸き立つ「地域」を政治的・経済的にゆるやかに束ねているのが、上海協力機構(SCO‐Shanghai Cooperation Organization)だ。