サウジアラビアのタブー

王家で意見が割れているのも、結局は権力闘争です。保守的な人はビンーラディンのようなイスラム原理主義者を支援し、アメリカに近い人は米軍への基地の提供を積極的に勧める。どちらも同じ王家の人たちです。サウジアラビアで差別されているのはシーア派の人々だけではありません。ほとんど知られていませんが、サウジアラビアにはいまだに奴隷制度が残っています。信じられないかもしれませんが、サウジアラビアの一部では、上地と人がセットになって売られています。よくあるのは、親から遺産としてある土地を相続すると、そこに住んで働いている人たちの所有権もついてくるというケースです。相続する際、遺言状のようなもののなかに、その一家の名前が相続される「モノ」と同じように明記されています。「奴隷」となっている彼らは遊牧民が多いのですが、その上地で家畜の世話などの仕事をして暮らしています。

この「奴隷」問題はサウジアラビアのタブーです。表だっては誰も言いたがりません。「奴隷」にされている当人たちもそのことに不満を述べたりはあまりしません。それどころか、自分たちが土地に付いている存在だということを認めたがらない人もいます。代々その上地で生きてきているので、意識せずに暮らせるからでしょう。奴隷的な立場にいることを把握していない人も多いのです。しかし、彼らは公民権を与えられていないため、教育を受けることができません。読み書きを教えられる機会がないまま大人になってしまいます。彼らには身分証明書が発行されないので、土地や車などの売買契約を結ぶことも、結婚することもできません。長年の慣習とはいえ、放っておいていいことではないと思います。最近になってようやく、サウジアラビアの後進的な部分として報道されるようになってきました。

サウジアラビアだけでなく、湾岸諸国が抱えるもう一つの大きな差別問題があります。「ビドウーン」と呼ばれる人たちへの差別です。「ビドウーン」とは、アラビア語では「持っていない」「なし」という意味です。湾岸の国々に住んでいた人々はもともと遊牧民でした。ヨーロッパによって国境に線が引かれるまで、砂漠を自由に行き来していました。しかし、ある日突然、国ができて国境線が引かれました。そして、すべての人々がどこかの国に属することを求められました。しかし、そのことを知らなかったり、知っていても反発を感じたり、半信半疑だったり、めんどうだったりして応じない人たちもたくさんいました。その人たちに対してサウジアラビアクウェートは、ある期間までに申し出なかった人に国籍はあげませんでした。その結果、サウジアラビアクウェートに住んでいるのに国籍を持っていない人たちが生まれてしまったのです。

国籍がないということは、社会福祉サービスが受けられず、普通の生活ができないということです。病気にかかっても保険がないし、教育を受ける権利もない。就職も結婚もできません。明らかに差別です。政府側は、彼らはほかの国から産油国の特権ねらいで密入国してきたとみなしています。しかし、そうではない人のほうが圧倒的に多いはずです。サウジアラビアに限らず、湾岸の国ではこうした問題がほかにもあります。しかし、ほとんど欧米には知られていません。ヒューマンこフイツーウォッチなどの人権保護団体も、こうした問題にはあまり触れたがりません。彼らは欧米の大企業の支援を受けており、指摘する問題の範囲が限られます。欧米のメディアが報じる「人権問題」は、その背景に政治的、経済的な思惑があることを疑ってかかったほうがいいと思います。

サウジアラビアから北東に視線を動かすと、イラクがあります。イラクサウジアラビア以外に、ヨルダン、シリア、トルコ、イラン、クウェートと国順々接しています。ティグリス川とユーフラテス川が流れる平野部にメソポタミア文明が栄えた歴史的な上地です。二〇〇三年のイラク戦争後、新体制になったイラクですが、「アラブの春」に呼応した動きがこの国でもありました。イラクで起きたデモで民衆が要求したのは、雇用を増やすこと、役所のサービスレベルの向上、不規則な停電の解消、きれいな水の供給、透明化を含めた司法制度の改善などでした。二〇一一年二月二十五日にはバクダッドで大規模なデモが行われましたが、この日、政府は自転車禁止令を出していました。にもかかわらず、数万人の人たちが徒歩でタバリール広場に集まりました。