新興国に負けるという思い込み

その一つの要因は、日本人の労働が全体的な豊かさを増やすことに役立たず、むしろ、減っていく豊かさを奪い合うことに費やされているからである。それに一役買っているのも、日本は貧しくなっていくという思い込みである。将来を悲観的に考えているので、お金はできるだけ使わず、使っても安い物しか買わず、消費が萎んでいくことによって、経済も萎んでいくという悪循環もある。賃金がドがっても仕方がないと諦め、サービス残業も当たり前と受け入れる。その結果、個人所得は低下し、消費の低迷、経済の低迷につながる。投資をするにしても、日本の将来は暗いと考えるので、日本に投資するよりも海外に投資しようとする人や企業が増える。その結果、民間投資は減り、それも経済成長率を低下させる。

その場合、日本がもっている潜在的な能力の高さや数多くの優れた点は忘れ去られがちだ。今も世界のトップレベルにある技術水準や治安の良さ、協調的で温厚な国民性、高い衛生観念や優れた美意識、教育への関心と勤勉さ、技術的熟練や巧緻性の高さなど、元来、日本人は非常に優れた国民なのだ。ところが、それが政策的なミスと悲観的な空気によって、うまく発揮されていない。つまり日本人の能力や日本という国の潜在力は、一方で遊んだ状態におかれ、他方で無意味なことに費やされ、結局、全体としては、その力を十分発揮できなくなっている。

日本の悲観主義と自信喪失は、今急ピッチでわが国を追い上げている中国や韓国、インドといった新興国に、やがて追い抜かれてしまう、競争で敗れてしまうということを、半ばあきらめの気持ちで受け入れる心理状態にも表れている。勢いのある新興国に負けるのは仕方がないのだという開き直りさえヽ日本には広がっている。半ば戦意を喪失し、敲獣諸島問題が起きるまでは、中国の発展ぶりを礼賛する声さえ多かった。「中国はすごいなあ」「かなわない」と、中国が日本に勝るのは、当然のことのように思いかけている人も少なくなかったし、今も、そう思っている人が多いのではないだろうか。しかし、わずか十年余り前には、中国と日本の経済力、技術力の差は歴然としていて、大人と小学生くらいの開きがあったのだ。一九九七年の時点で、日本は、GDPにして五倍の経済力を有していたのである。日本は、つい最近まで、毎年一千億円を超える経済援助を中国に対して行ってきたのだ。

ところが、金を出しながらも、内心では、日本の行く末は暗いと思い、いずれは中国が世界経済の中心になると思い始めていた。そう思って、誰もが中国に投資し、技術移転を続けているうちに、本当に中国は巨大になってしまったのである。円高と安い労働コスト、厳しい国際競争が背景にあったことは言うまでもないが、五倍もの格差が、わずか十年余りで逆転してしまうということは、それだけでは到底説明かつかない。日本人自身が日本を見限ったことが、この驚くべき逆転を手助けしたのだ。もし日本企業が、この国に留まるしかないとして、円高や労働コストの問題を技術や創意工夫によって乗り越えようとしていれば、日本は別の国になっていただろう。それが可能となるためには、もっと高い技術力と高い生産性が必要で、中国にではなく、この日本に巨大な投資がなされただろう。日本政府が、本腰を入れてそれを応援していれば、ここまで急速かつ無残な敗北は起きなかっただろう。

他でもない日本人自身が、それを諦めてしまったのだ。日本には、もはや将来性がない、中国の方が有望だと、多くの人が考えたのである。一般国民だけでなく、リーダーたちもである。そう思った時点で、日本は自らを貧しくする選択をしたのだ。実際のところ、国内に投資することに魅力を感じる政策を打ち出せなかったのである。税制面での優遇などを大々的に掲げ、国を挙げて海外からの投資を呼び込んできた中国などと、その差はあまりにも大きかった。企業は、国が守ってくれないと感じたから、自らを守るためにこの国を見限らざるを得なかったのである。だが、長期的に見れば、それは甘い餌につられて、大きな網にかけられるような状況を招きつつある。中国の安い労働力を利用するつもりでも、利用されたのが日本の企業の方だということになってしまうだろう。戦前に大陸進出に猛進し、すべてを失ったのと同じ悪夢が繰り返される危惧さえある。