現代の出産

数年前、大学で私の文化人類学のクラスにいたある女子学生は、非常に山奥の出身で、小さい頃から祖父母や父母に、若衆宿や娘宿、夜這いなどを中心とした昔の若い男女のつき合い方について大変楽しげに語り聞かされたそうだ。父母も笑顔で結婚のいきさつなどを話してくれたといい、大学へ来てみて、初めて夜這いなどを皆が非常に卑狼な習慣のように理解していることを知りびっくりしたと、しかし祖父母や父母の話から判断すると決してそんないやらしいものじゃないと思っていると、レポートにしたためていた。

韓国は、とくに女性の生活などについて「体験」が今でも生きいきと活躍している国である。一九八八年夏から一九八九年の九月にかけて三度訪韓し、お産を中心にした女性たちの暮らしぶりについて聞いた。通常、嫁にとって舅姑は、今でも恐ろしい存在だが、少し以前では嫁は口ごたえはおろか、じかに目を合わすことさえできず、常に家では目をふせ、何か手仕事をしていたそうだ。家族にとって若い息子夫婦は仕事や畑仕事、炊事などの働き手であり、生まれた子どもは、下の子どもが生まれるまで、あるいは生まれなければ七歳まで父母の部屋で暮らし、その後は祖父母の部屋でしつけや教育を受け、成人に近づくと一部屋を与えられるというのが一番よく行なわれた暮らし方のようだ。

父母にとって非常にこわい存在であった祖父母も、子どもたちにとっては厳しい中にも慈愛にあふれた存在であったようで、女の子では祖母の部屋で暮らす間に自分の生まれた時のこと、祖母が父を産んだ時のことなどを聞いて育つたという女性が多かった。また祖母たちは孫娘の将来のためにも、結構くわしくお産の仕組みや痛み、あるいはその対処の仕方などについて伝えていた。

もちろんいまも三世代同居を前提としている韓国だから、結婚前に兄嫁のお産に出くわす場合も多く、この場合も将来のため、母親は娘たちに、極力その手伝いをさせたようだ。そのためお産になっても、「お産は自分が産まなくてはどうにもならないから、姑や夫など、全然あてにしていない」(昆里島、三二歳女性)という出産認識を持っていて、この出産観は六〇年も前に出産した年輩の女性でも、いまの女性たちでも、ほとんど変わっていない。したがって韓国では、助産婦という専門職の女性が出産に関係するようになるのはごく最近で、いまでも自宅で姑一人に介助されてお産するケースは決して珍しくないし、そのことに何ら不安を感じていないように見える。

韓国では一九八〇年頃から病院出産が盛んになったそうだが、それでも病院は出産だけの場所であり、産んだ日を合わせて、遅くとも三日目には退院する(これは欧米でも同じだ)。先に述べた昆里島の女性は、お産体験(一九八二年、八五年、八七年)について、次のように述べた。初産は、朝五時に始まった。夫はそばで寝ていたが起こさなかった。どうせ何もしてもらうつもりはなかったから……。自分でビニールを敷き、その上に木綿布を敷いて坐り、横前方に手をついて、その手に力を込めて、横坐りの姿勢で産んだ。