非文化的な雰囲気とは

この新しい土台の上で伝統的な日本の文化や習慣が新しい形で職場や地域の生活のなかに生かされてくれば情報技術を身につけた職人的な気質と新しい文化政策や文化制度が結合されて日本が急激に文化社会を形成しうる可能性があります。それは勤労者のあいだに「冷たい大衆社会化」に対する反省と怒りがあるだけでなくて、伝統文化や職人気質を持ち、また情報技術や新しい社会システムを活用する力量があるからです。

文化の本来の性質と旧い職人気質の閉鎖性の矛盾をどのように考えるのかこの場合、留意しておく点がもし何かあるとしますと、日本の旧い職人文化はよき伝統とともに、あまり近代的とは言えない負の遺産をも引き継いでいるということでしょう。文化とは本来、何か、という改まった問を投げかけるとしますと、おそらく大多数の人は「文化とは相互の個性から学びあう雰囲気を高めることである」という定義に同意されると思います。

ここでいう「雰囲気」とは自然的な環境や社会的な環境を併せて指すものと考えられますが、一人ひとりが個性的な「いきがい」をもち、自己を実現しようとする欲求をもって生活しようとする状況がお互いに受入れられている、というのは最も文化的な状態であると言えるのかも知れません。

現代の日本で、文化にあこがれる人が多いのは、実はこのような「雰囲気」が、職場にも地域にも家庭にも、あまりにも欠けているからかも知れません。日本では「出る杭は打たれる。」「長いものには巻かれろ。」という言葉に象徴されますように「目立ち過ぎると足を引張られる」し、「落ちこぼれるといじめられる」という状況が学校でも職場でも多く見られます。また家族や夫婦の間でも「妻が夫よりも早く昇進した」となれば、それだけで妻が悪いことをしたように言われますし、なにか日本には人それぞれに相応の「分」というものがあって「分を越える」ことは許されない、というやや非文化的な雰囲気があるようです。それだけに「もう自由にやらせてほしい」「言いたいことを言っても互いに認め合える関係が欲しい」「旅行をして自然や社会をみて一緒に語りあいたい」などの文化的な欲求が高まる傾向にあるのでしょう。