親米路線の基本的要素

まずごく簡単に親米路線の中身の要点をまとめておこう。あらかじめ認識しておきたい至要な事実は、その後の国際環境の変化にもかかわらず、これらの基本的要素が変化を受けないまま今日に至っているということである。

第一、日米安保条約により、日本の安全保障をアメリカの軍事力に依存して確保すること。

1960年以前は、基本的にアメリカの軍事力に全面的に依存した。60年の安保条約改定により、自衛隊の増強を通じ、限定的な武力侵攻に対しては独力で対処するという思想・政策が形成されたものの、大規模侵攻、核兵器の脅威に対してはアメリカの支援、核抑止力に依存する、という点は変わっていない。

第二、同じく日米安保条約により、アメリカの世界戦略遂行を積極的に支持し、支援すること。

当初は基地提供だけであったが、60年の条約改定以後、アメリカの経済力の相対的低下、日本の経済力の飛躍的向上を背景に、上記の自主防衛力の強化を含め、駐留アメリカ軍の費用軽減に対する貢献、シーレイン防衛、主要海峡の有事封鎖、日本近辺の防空、さらにはアメリカ軍との合同演習、共同作戦計画立案など、アメリカの世界戦略に対して、経済面、軍事面での全面的協力が進行してきた。

近年では、ココム(対共産圏輸出統制委員会)を通じた対共産圏高度技術輸出規制強化、戦略防衛構想(SDI)計画への参加、次期支援戦闘機(FSX)共同開発計画にみられるように、日本の技術開発能力の目ざましい進歩をアメリカのコントロール下におくための協力、という新しい局面が現れていることをつけ加えておく。

第三、国際関係において、アメリカの政策を全面的に支持し、その円滑な実施のために補完的役割を果たすこと。

日本の経済力が回復するまでは、対中政策での台湾支持、対朝鮮政策での韓国支持のように、アジアを中心として、アメリカの政策に支障が生ずるような政策を控えるという消極的な性格が強かった。しかし、60年代以後の高度成長を背景に日本の国力が増大するにつれ、この分野で日本が果たす役割はますます顕著となり、地域的にもアジアにとどまらない勢いを示すようになっている。

代表的な動きだけを示しても、以下のようなものがある。

1.韓国に対する協力の本格化(1965年6月の日韓基本関係条約、対韓経済協力協定の署名が最初)。

2.ASEAN諸国の経済開発戦略への積極的テコ入れ(1974年1月の田中首相の訪問以来、歴代首相がASEAN諸国を訪問している。とくに、1977年8月の福田首相のマニラでの演説は、「福田ドクトリン」として知られている)。

3.米中和解(1972年2月のニクソン訪中以後)を受けた対中関係改善(1972年9月の国交正常化、1978年8月の日中平和友好条約署名)と中国の現代化努力への積極的協力(1979年12月、大平首相訪中の際に円借款供与を約束したのが最初)。

4.アメリカが戦略的に重視する国家や地域への二国間、多数国間の積極対支援(対フィリピン、対中米等)。

第四、西側陣営の盟主としてのアメリカの国際的指導力を確保するための下支え的努力。

アメリカの力が揺るがなかった50年代、60年代の前半までは、アジアにおける日本の経済力の回復自体、アメリカの世界戦略にとって重要な要素とみなされていた。しかし、アメリカの経済力が絶対的なものではなくなってくるにつれ、アメリカは、同盟国に対して役割分担を求める形での要求を強めるようになった(これまで述べてきた一連の日本の外交的努力は、そのままそのようなアメリカの要求に応えるためのものでもあった)。

この場合、アメリカの力が相対的に下がってきているとはいえ、日本、西欧諸国がこれに代わってリーダーシップを握ることは、アメリカ自身が許容するところではなく、また、日本や西欧もその意思がない。そのため、アメリカの指導力を維持するため、日本は、アメリカの要求に沿うことを最大の眼目として、前述の防衛分担強化、先端技術面での対米協力、対外援助の肩代りと並んで、対米貿易、投資、国内市場開放、その他あらゆる分野での対米協調を進めてきた。

このような日本の親米路線をいかに位置づけるべきか。このように問題を提起するのは、政府・自民党が日米関係を聖域化しようと試みるのに対して、私たちが主体的に判断する力を身につけ、そしてこれまでの日米関係のあり方が本当に日本の国家的、民族的利益に合致しているかとうかを考える上での第一歩の作業であり、ぜひとも経なければならないステップである。