偉大な戦争のヒーロー

イギリス大使としてこうした誤った政策に与したために、ジョゼフーケネディは、政治家としての一生を棒に振ることになった。そして彼は、心密かに抱いていた大統領になる夢を自分の息子に託さざるをえなくなった。後年、息子が大統領選に出馬したときにも、彼は表舞台には出られずに、陰で糸を引いていなければならなかった。

しかもジョゼフは、自分がそれほどまでの犠牲を払って食い止めようとした戦争で、長男のジョゼフージュニアを失ってしまうのである。長男のジョゼフ・ジュニアは、弟のジョンーケネディと同じように目鼻だちの整った美男子だったが、弟のように病弱ではなく、健康な身体に恵まれていた。九人兄弟の長男としての責任感も強く、将来はアメリカの大統領になると公言していた。母親のローズーケネディは、子供たちの思い出を綴ったその著『わが子ケネディ』(人前正臣訳)のなかで次のように言っている。

「私は大家族を持つ親たちに、一番上の子供に最も熱心に働きかけるよう強くアドバイスしたい。というのは、一番上の子供の方向に下の子供たちも従うからである」そんな息子を失ったことは、ケネディ家にとっては取り返しのつかないほど大きな不幸だった。

ジョゼフージュニアは、一九四一年に志願して海軍に入隊していた。ジュニアは、ジャクソンビルで飛行機の操縦訓練を受けたあとヨーロッパ戦線に送られ、二回戦闘に参加した。そして、五十回出撃すれば本国勤務に移されるという条件をすでに満たしていたが、彼は、荷物をまとめてアメリカに帰ろうとしていたときに、危険このうえない最高機密の任務のために、軍がパイロットを探しているという話を耳にした。

ジュニアはすぐにその任務に応募した。その機密の任務とは、暗号名をアフロデイーテといい、第二次世界大戦の末期に、ドイツ軍がイギリスに向けて発射した無線操縦のロケット弾VIロケットの発射基地を爆破するという任務だった。ジュニアの任務は、連合軍側の遠隔誘導ミサイルを積んだ飛行機を操縦してコースに乗せ、ミサイルが母艦からの遠隔操作に切り換えられたところで、パラシュートで飛行機を脱出するというものだった。もしこの任務に成功していれば、彼は、史上最大の作戦と呼ばれたノルマンデイ上陸作戦を指揮したアイゼンハワーほどではないにしても、あるていどは偉大な戦争のヒーローになれたぱずだった。