差別観念むき出しの取調べ

「僕が部落民であることを誰にもいいたくなかったし、いわなかった。それどころか、僕自身徹底的な差別者でした。先日、解放同盟都連の若林さん(都連書記長)にも、きつく指摘されました。僕は部落に住んだことが一度もないんです。部落に住んでいる人とは、感覚がやっぱり違うし、かくそうと思えばかくせることも、実際にあったわけです。僕の兄弟はいまでも、部落民であることをかくして暮しているんです。一番上の姉さんは結婚して、一九歳の娘もいるんです。『部落民宣言』をふぐむ手記の載った雑誌『展望』(七五年六月号)を、五十冊ほど大阪の姉に送りましたが、姉さんはそれを全部、押入れに隠したといいます。僕自身、部落民をひじょうに差別してきたから、姉さんの気持もわかるんです」。

犯人でないものが犯行を自供するという、常識では考えられない事態があるとき、そこには、供述することを余儀なくされる。追いこまれ”が存在する。それ以外、こうした非合理な事態を説明することができない。具体的には、肉体と精神の両面におよぶ拷問、脅迫である。加納さんの場合は、その生育歴にはりついたようにある被差別の諸状況を、権力が公表するという脅迫に、現実の肉体的拷問か重ねられ、やってもいない放火をやりましたといわせられたのであった。警察はいったい何をしたのか。

「家系を調べたら、軸ま免の祖父は部落民じゃないか。狭山事件のように、部落の人間は、たと免人を殺していても、『私は無実です』という人非人の種族だ」。警察官は取調べ中、加納さんにむかって何度も、部落民をもちだした。「部落の人間は何をしでかすかしれない恐しい人間」という、社会意識としての差別観念は、世の中に根強く、深く浸透しており、加納さん自身も、その差別観念から逃れて自由であったわけではたい。だから、それは相当な影響力をもって、加納さんにせまってきたであろう、と思われる。

加納さんは「取調べ官が部落の話を持ち出してくると、きょくりょくその話から身をかわし。逃げようとした」といっている。部落の話から身をかわそうとする場合、放火の核心に話をも?ていくことしか痙い。警察にしてみれば、なんとしても、自白を得ることが目的であるから、加納さんが自白さえすれば、部落民であろうがなかろうが。問題ではないわけである。加納さんは当時の心境について、「自分か部落民であることを新聞に公表されることか、何よりもこわかった」と述べている。

ひたすら隠し、なりきることでしか身を守れなかった加納さんは、部落解放運動の何であるかといった地平からも、無縁であったのである。放火の核心に話をもっていくことは、みずから犯人に仕立てあげられにいくようなものであるが、加納さんはそうまでしても、部落民を隠そうとしたのであった。客観的には被差別者である加納さんが、主観的には部落を差別することによって、みずからの被差別から自由にたれると思い込まされてきた、その生育歴を考えるとき、警察官のしめあげ方は、その意味で。実に効巣的であった。

あとで述べるように、同性愛者ということも、警察が利用した脅迫材料であった。だか、加納さんにとってはやはり、部落出身ということのほうが、圧倒的に重かったのである。同性愛のことは、親も兄弟も知っていることで、それかかりに公表さ。れたところで、それほどのこともない。だが、部落出身のほうは違う。加納さんは「親も兄弟も、部落をひたすらかくして生きているんです。僕が部落民であることか公表されたら、親兄弟へ与えるダメージはもう決定的でしょう。親兄弟ばかりではない、その子の世代、孫め世代までも僕はそれがこわかった」と述べている。