外需がもたらした錯覚

こうして設備投資が売上高の増加に結びつかず、営業利益率は減少すらするということになると。企業にとって決定的な資本収益率(投下資本がいかに効率よく収益を生み出すかという指標)、資本の効率性が趨勢的に下落していくのも当然であった。図は製造業全体の資本収益率(ここでは営業利益額/有形固定資産額)の低落を鮮やかに示している。そして以上見てきたようないくつかの傾向は、なによりも自動車、電機といった加工組立型産業によって生み出されたものであった。

ME化は多品種戦略に伴うムダを摘み取り、もしそれが新たな消費を掘り起こし全体としての量産効果と結びつくならば、設備投資コストを償って余りあるコスト削減効果を持まず最初の理由が「外需」である。つまり収益率も増加するはずであった。だが市場競争の激しさとME技術のあまりに速い進歩は、全体としての量産効果が十分に出るまもなく、過大な研究開発投資や新製品のための投資を個別企業に迫ることになった。

しかし収益率(利潤率)の低下は必ずしも利潤の絶対量の減少ではない。だから利潤率の低下を利潤量で補える間は、無理は顕在化しない。そして実際に、ME化と日本的経営を武器とする多品種戦略の無理。つまり高コスト体質の問題点は「平成不況」が始まるまで顕在化することはなかった。なぜであろうか?その限度を超えた多品種戦略高コスト体質の吸収と深化が必要である。

1974年〜1975年の不況から脱出するさい、自動車、家電などの加工組立型産業に活路を与えたのは外需、とりわけアメリカの輸入増加・貿易赤字拡大であった。そして自動車、自動車部品、家電、電機、精密機械、一般機械などの輸出産業こそ、世界的低成長期における日本のリーディング産業であり、またME化投資の担い手でもあった。

もちろん、1970年代後半の輸出市場における日本車の伸びが、燃費のいい小型車生産における日本企業の優位に支えられていたことからも分かるように、日本企業の武器も多品種化戦略だけであったのではない。またこの時期から始まるME化も、当時はなによりも減量経営の一環としての合理化・省力化投資という側面が強かった。

引っ越し代 目安